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ジムニー探検隊NEXT
VOL.006
ジムニー探検隊NEXT /// VOL.6
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ジムニー探検隊NEXT -祭り、その街-
『万燈祭』愛知県刈谷市

日本には「奇祭」と呼ばれる祭りがいくつかある。いわゆる変わった祭礼ということだが、愛知県刈谷市では"天下の奇祭"と言われる実に壮麗な祭りがあるのをご存じだろうか。


文・写真/山崎友貴

トヨタグループ企業が乱立するモノ作りの町

愛知県刈谷市は豊田市の横にある町で、豊田自動織機、アイシン、デンソー、トヨタ車体、トヨタ紡績といった錚々たるトヨタグループ企業が立ち並ぶ。奈良時代から鎌倉時代にかけては、陶器作りが盛んに行われており、古来からモノを作るというのが盛んな土壌だったようだ。

トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎は、刈谷市の中心にある豊田自動織機の工場脇に試作車工場を作ったことから、この地がトヨタ自動車の原点とも言われている。

町は工場、そしてそこで働く人々の住宅が中心地にあり、その周りを水田などの田園地帯が取り囲んでいる。江戸時代は水野氏や松平氏、阿部氏、本多氏といった譜代が領主を勤めた刈谷藩があり、最後は土井氏が藩主となって明治を迎えた。

工業が主体の町ということもあるが、観光資源は極めて少ない。その少ない中でも興味深いスポットが、産業遺産に指定されている「依佐美送信所記念館」だ。依佐美は昭和4年に建造された長波送信施設で、対欧州向けの電波を発信するために計画された。

第二次世界大戦中は旧海軍よって管理され、日米開戦の指令通信「ニイタカヤマノボレ1208」を連合艦隊に発信するのに使われた送信所のひとつであった。通信塔はそれほど高くないが、三角鉛筆のような形状がユニークだ。周囲は田園で障害物がないことから、塔を高くする必要がなかったのかもしれない。

塔の横の送信局舎跡は改修されて、資料館として公開されている。古めかしいコイルのような送信設備が残っているだけだが、それぞれストーリーがありそうなので、興味のある人は立ち寄っていただきたい。

国道1号から1本脇に入ると、旧東海道の一部が残っている。道筋こそ、当時の面影を残しているが、立ち並んでいる家々は新築が多く、古民家はわずかしか残っていなかった。それでもそこをジムニーで走れば、街道を行き交う江戸期の人々の幻影が、陽炎の中に見えてくるようだ。

秋田竿灯祭とねぶた祭が融合したような祭

今回、刈谷市を目指したのは、ここで「万燈(まんど)祭」という祭礼があることを知ったからだ。万燈祭は、「天下の奇祭」と呼ばれている祭りで、その歴史は1778年に遡る。

今も刈谷駅近くに残る秋葉社の祭礼として行われてきたが、元々秋葉社というのは火伏せの神として信仰を集めてきた。しかし、資料によれば1852年に行われた雨乞いの神事に万燈が使われ、伝説になるほどの御利益があったことから、雨乞いの祭りとして言い伝えられてきたという。

万燈祭は7月最終の土日で開催されるが、1日目を「新楽」、2日目を「本楽」と呼ぶ。華やかなのは新楽で、氏子町7町に加えて、地元企業や地区の大万燈10数基とたくさんの子ども万燈が街中を練り歩く。

ちなみに万燈とは、青森のねぶた祭と秋田の竿灯祭を合体させたような形状で、竹を十字に組んだ上にさらにねぶたのような和紙の造形を組み合わせている。題材はやはり武者や歌舞伎もので、夜になると万燈に明かりが灯り、それは優美で美しい。

万燈の大きさは町によって異なるが、高さは約5m、幅は約3mで、重さは60kg近くにもなる。これを若者の担ぎ手がひとりで持ち上げ、囃子に合わせて大通りでいくつもがクルクルと舞うのである。ねぶたのようなダイナミックさはないが、動きという点では万燈が勝るように思える。

若年層が中心だから祭りに熱量がある

まだ陽が高い午後4時半、刈谷駅から少し離れた大通りに各町の万燈が並べられ、氏子たちが鬨の声を上げ始める。この祭りには特筆すべき点がある。それは祭りの主役たちが、非常に若いということだ。

下は小学生、上は20代半ばの男女たちが中心で、中高年の男達は脇で祭りを見守る。若者たちがハメを外し過ぎると、そっと叱る。だが、その眼差しはあくまでも温かい。祭りの伝統と未来を受け継ぐのは年寄りではなく、若人だということを大人たちはよく分かっているように思える。

午後5時、全町一斉舞というアナウンスと共に、様々なテーマで作られた万燈が担ぎ手の肩の上で、上に下にと大きくうねる。万燈を取り巻いている若い男女はかけ声と共に激しく跳ね回り、祭りをさらに盛り上げる。

一旦、万燈は氏子たちと移動し、広小路交差点を中心に通りの決まった場所に据えられる。午後6時、万燈に灯が灯る。最近はLEDを使い、絵の具も発色のいいものを使うせいか、想像以上に鮮やかな色合いの光だ。町によっては万燈の中に点滅するLEDを仕込み、造形のストーリーをさらに盛り上げている。

西の空に薄明かりが残り、その背景の中を鮮烈な万燈が揺れる。氏子たちのボルテージはますます上がり、若者たちが吹き付ける霧が光を反射してキラキラと光るのである。気温は30℃を超えており、さらに若者たちの熱が通りを覆っている。

刈谷市駅近くの交差点は、各町の万燈を採点するコンテスト会場となっており、交差点を丸く囲んだ聴衆の中で、各町のグループはそれぞれのパフォーマンスを披露していく。それが終わると通りにある所定の場所に戻り、午後7時50分に再び全町一斉舞に興じるのである。

刈谷の通りは万燈の光と若者たちの熱気が最高潮に達し、そして数時間後、まるで何も無かったように静けさと暗さを取り戻す。