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ビヨンド・ザ・フィールダー
VOL.014
冬の陰陽[裏磐梯]
冬の陰陽[裏磐梯]

林道でいい季節、それは新緑の頃と初冬だ。
山々のコントラストがクッキリと見え、どこを見ても光が躍っている。
「冬枯れた」という言葉があるが、
枯れているからこそ見える生命の営みが山にはあった。

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東北の懐の深さを感じさせる蕎麦

磐梯熱海ICを下りてすぐの所にある「そば処森」。その蕎麦は、極太でまるでうどん。何度でも食べたくなる不思議な食感だ。

「ふたつの燃える山」というのが、今回の取材テーマだった。林道で行ける絶景を探すというのが、この企画の主旨だが、やはりそれは限られてくる。長野県よりも西になかなか行けないというのも、その要因になっているのだが。


いずれにせよ、今回は山岡巨匠のかねてから提案通り、福島県裏磐梯を目指すことにした。


磐梯熱海ICまで、都内から約3時間半。朝出ても、到着するのはほぼ昼。入山する前に腹を満たそうということで寄ったのが、インター下りてすぐの所にある「そば処森」。古民家調の立派な店構えで、入るといかにも東北人らしい愛想の女将が出てきた。


ここの名物は「極太蕎麦」。乱切りの田舎蕎麦はコシが強くて、個人的には大好物。だが、極太というのは食したことがない。待つこと20分。シトシトと降る雨を眺めながら、何となく時間をやり過ごす。


で、ようやく出てきた蕎麦が、写真のこれ。ざる蕎麦850円也。箸で簡単につまめるほどの太い蕎麦を、濃いめの汁に少しくぐらせて、口に入れる。


な、なんだコレは!


香り、コシ、喉ごしとも、まさしく究極の蕎麦。早食いという蕎麦本来のアプローチはできないが、もごもごと噛む感じはクセになる。汁は僕好みではなかったが、これはこれで美味いと思う。


東北も蕎麦を名産している土地が多いが、これは驚くべき蕎麦だ。池波正太郎が愛した、深川の1本うどんに通ずるものがある。東北恐るべしな逸品だった。

雨が川のように流れるスパルタン林道

三河小田川林道は、雨で道が削られて荒れ放題。写真はまだいい状態の方。

アピオのTSシリーズに乗っていると、本当に旅の安心感が違う。改めて思ったのは、三河小田川林道に入ってからだ。ダートになってすぐに、道の真ん中は雨で削られ、凹凸を矢継ぎ早に越えなければならない。フルノーマルのジムニーだったら、腹を擦りそうだ。


TS7は、付いているサスペンション「スーパーつよし君銀八安心キット」のお陰で、こういう地形も難なくこなしてくれる。またジムニーというサイズもいい。これが全長5m近くのSUVとかだったら、果敢に林道など入れない。ジムニーのサイズだからこそ、「ダメだったら戻ってこればいいか」という気にもなる。


紅葉の最盛期で、山は燃えていた。残念ながら雨が容赦なく降り注いでいたが、かえってしっとりとして色が鮮烈だった。雨の中、外に出るのがイヤな巨匠はどんよりしていたが。


林道は20数㎞も続く長いルートで、荒れ方も含めてジムニーファンを十分に満足させてくれるはずだ。冬季は閉鎖になるが、5月には開通するはずなので、新緑や残雪を楽しんでいただきたい。

峠付近に差しかかると、さらに深い霧に。本来なら眺望の良いスカイラインなのだが…。

道は登るほどに、どんどん荒れが酷くなっていく。事前情報では、それほど悪いとは聞いていなかったのだが。巨匠と二人して、首を左右にガクガクしていると、向かいから思いも寄らない珍客が来た。フツーのアルトだかミラだかに乗った若者二人がピースサインをしてくる。

この荒れた道をノーマルの普通軽自動車で来たとは、あっぱれな二人だ。きっと彼らのクルマはお腹が傷だらけなんだろうな。


この先、もはやモーグルみたいになっている箇所が待っているのだが、通過できるのか。彼らのこれからの運命を、そっとおもんばかった。とは言え、我々だった安泰ではない。峠に近づくほど霧が濃くなり、本来見えるはずの素晴らしい眺望はまるでなし。巨匠のやる気もまるでなし。


雨は氷雨で、濡れた部分がじんわりと痛くなる。真っ赤な山は、これから深い雪に閉ざされる前の輝かしい生命の営みゆえなのだ。落ちた葉は雨で発酵が進み、かぐわしい香りを出している。樹木の中にはすでに芽を付けているものもあり、もはや来春を目指して自然は動いていた。今宵の飯の心配しかしていない僕と巨匠が、恥ずかしくさえ思えた。

ダートだけで20㎞近くある三河小田川林道。これからは雪で閉鎖となるが、5月にはまた開通する。

結局、三河小田川林道は未舗装部分だけで20㎞近くあった。巨匠は「もう飽きた」と言っていたので、まあ林道マニアにも十分な距離だと思う。ルートの印象としては、磐梯熱海側から峠を越えるまでが眺望が素晴らしく、その先の下りは森の中をひたすら走る印象だ。


夏はさらに樹木が鬱蒼とするので、やはり走り時は初冬か春。新緑がちょっと芽吹く頃も、きっとキラキラとした陰影があって美しいだろう。基本的にはそれほど難しい林道ではないのだが、基本的なオフロードテクニックは要するので、あまり自信がない人は入らない方がいいかもしれない。


またそれなりに距離もあるので、事前の給油は忘れずに。実は我々もメーター半分以下で入山したので、かなりドキドキしてしまった。林道を出てから、スタンドがある国道までもそれなりに距離があるので、インターを下りたらまず給油することをオススメしておきたい。

落人さえ来なさそうな超秘湯

まさに桃源郷、極楽、天国。幕川温泉・水戸屋の露天風呂は最高のひと言。

林道を出てからは、一路、今宵の宿である幕川温泉を目指す。裏磐梯の山道をひたすら登っていくのだが、相変わらず初冬の雨は続いていた。標高を一気に上げて、稜線らしき所に出たところで、今度は谷間へと下りていく。


我々はクルマで行くから楽だが、古の人たちはどうやって温泉に行ったのだろうか。どう考えても、ここに行くのは大変だったはずだ。平家が落ちた湯西川温泉が栃木では有名だが、ここ幕川温泉も人里離れたと言うには秘境すぎる。いや、秘湯すぎる。

林道出口から1時間ほど走って、ようやく今宵の宿「水戸屋」に到着した。巨匠によると、幕川温泉には2軒しか宿がなく、風呂はこちらの水戸屋の方がいいらしい。さすが温泉にうるさい「カエサル」だ。

水戸屋はいかにも昭和レトロ、悪く言えば古めかしい造りだ。だが、リノベーションしようなんて気を感じさせないところが、かえって清々しい。我々の世代には、すべてに懐かしさが宿っている。

水戸屋には3ヶ所も露天風呂がある。2階にあるこの風呂も、火の山を観ながら贅沢な入浴が堪能できた。

我々が宿に入ると、まずやること。それは露天風呂の撮影だ。5時を過ぎると宿泊客がどんどん訪れ、風呂の撮影はできなくなってしまう。夕方を逃すと、次は朝になってしまう。


部屋に入って一息つく間もなく、巨匠を急かして風呂へと急ぐ。ここのメインとなる露天風呂は一度外に出て、川へと下りていかなければならない。雨が降っている上に山の空気が冷たく、一刻も早く湯に浸かりたい気分だ。


壁だけの簡素な脱衣所で速攻まっぱになり、浴槽へ行くと、そこには素晴らしい光景が。真っ赤に染まった森の中から小川が流れ、浴槽はその脇にあった。泉質は硫黄泉。硫化水素の臭いがプンプンとし、かなり強力な泉質なことが分かる。


最初は熱いが、外気温の低さもあって湯加減は上々。やはり日本の自然は素晴らしい。


ひとしきり堪能した後、今度は屋内に設けられた露天風呂へ。不思議なのだが、同じ源泉を使っているはずなのに、それぞれ泉質が異なる。中には透明なお湯も。空気に触れたりとか何か条件によって、このように泉質が異なるのかもしれない。いずれにせよ、どれも名湯だ。


食事はまあ普通ではあったが、風呂が良かったので満足度は大。プライベートでも来たくなる、そんな超秘湯だった。

地球の鼓動を感じることができる浄土平

いたる所から硫化水素ガスが吹き出し、低い所では事故も多発している火の山「吾妻富士」。浄土平という名前が、しっくり来る場所だ。

翌朝、我々は進路をさらに北向けて、目的地である浄土平を目指した。浄土平は活火山である吾妻富士の裾野に広がる名所で、自動車雑誌ではメジャーな撮影ポイントだ。かつては道から外れて走ることもできたのだが、行ってみると空き地などはすべて立ち入れないように岩が置かれていた。


ワインディングの途中に警備員が監視をしていたので、巨匠がハナシを聞いたところによると、車外に出て記念撮影しているうちに硫化水素ガスにやられて倒れる事故が多発しているため、何かあった時に救助するためにいるらしい。


「底の方はガスが溜まっているので、出ない方がいいですよ」と言われたらしく、巨匠は「上の方で撮るよ」と珍しく弱腰。山でも「クマに襲われたらどうするんだ」とやたら心配していた。とりあえず僕は車内にいるので、どこで止まって撮影しても差し支えはない。


巨匠が外で撮影していて、いきなりパタッと倒れたら、それはそれでフィールダー的でおもしろいんじゃないかなぁ…などと、僕の内なる悪魔が囁く。

浄土平周辺の山肌は硫黄が露出して、辺りには硫化水素、いわゆる硫黄臭さが充満している。各所から白い煙が上がり、この大地がまごうことなく生きていることが分かる。そこは本当の、火の山だった。かつて近くの会津磐梯山が活動して時代は、きっとこの辺りは最高のジオパークだったに違いない。

巨匠が本当に倒れたら次号が困るので、撮影はそこそこに撤収することにした。この辺りも、やがて雪の下となる。人間はそれで自然は眠ったと思いがちだが、すべての自然は眠らず眈々と営みを続けている。我々は季節ごとにその顔を一瞬だけ覗くだけで、自然の生き様を本当に理解しているわけではないのだと、山に入る度に想うのだ。

<文/山崎友貴 写真/山岡和正>