JIMNY LIFE ジムニーをとことん楽しむ僕らのライフスタイルマガジン JIMNY LIFE ジムニーをとことん楽しむ僕らのライフスタイルマガジン

CATEGORY MENU

ビヨンド・ザ・フィールダー
VOL.015
天上の村、溶けていく時間。
天上の村、溶けていく時間。

南アルプスの光岳は"南の南"と言われる深山だ。
その西側の山の斜面に、"日本のチロル"と言われる美しい集落がある。
20数年ぶりに訪れた「下栗の里」は、確実に変貌しつつあった。

<クリックすると画像を拡大できます>

絶景で脚光を浴びた村

急な斜面を耕作した畑が、パッチワークのようになった下栗の里。陽当たりがいいことから、耕作地として拓かれていった。

東京からジムニーで3時間半、長野県は飯田市。飯田市からさらに1時間ほど山中に入った場所に、今回の目的地である遠山郷・下栗の里はある。

遠山郷は上村川に沿って谷間にある土地で、かつて徳川家康に使えた氏族・遠山氏が支配していた。現在は長野県飯田市になっているが、浜松が近く、遠山氏が徳川家に仕えたことから、この辺りは信州ではなく遠州の文化が色濃いようだ。下栗は遠山郷の一部と謳われているが、その文化や風土は他の地域と異なっていると言われている。他の集落から遠く離れた山の上、という地理的なことも要因としてあるのかもしれない。

飯田市から国道474号線を目指して狭い山道を走ると、突然、頓挫した高速道の一部である矢筈トンネルが山中に現れる。このトンネルがあるおかげで、下栗へのアクセスは随分良くなった。かつて20数年前に訪れた時は、気が遠くなるほど時間がかかった気がする。

集落を通る道は非常に狭く、そして急だ。降雪すれば4WDでなければ到底登ることはできないだろう。

今回、ジムニーで行く旅にここを選んだのは、天空の集落として絶景が観られることもあるが、集落の道は狭くて急で降雪や凍結があれば4WDの軽自動車でなければ通行することができないという理由だ。実は取材時には、たっぷり雪があると踏んでいた。

ところがアテが外れて、雪がまるでなかったのである。12月の雪の取材というのは、本当に難しい。実際は12月も後半になると下栗は雪に閉ざされる。ジムニーユーザーにとっては、かえってそうした状況になったほうが楽しいと思う。

ただ雪はなくても地理的には本当にびっくりするはずだ。「なんで、こんな場所を開墾したのか?」という思いを誰もが抱くだろう。遠山郷は南北の谷間に広がっている地域なのだが、とにかく日照時間が少ない。日照時間が少ないということは、できる作物は限られてくる。そこで、日照時間の長い山の上に良好な耕作地を求め、そしてできたのが下栗だったのである。

急激に進む高齢化と過疎

下栗の名産のひとつである「茶」。だが、生産している農家は、もはや1軒しかないように見受けられた。

今回久しぶりに訪れて驚いたのは、耕作地が減ったということである。一見したところ、人が住んでいないと思われる廃屋も増えたようだ。何せ前回の来訪から四半世紀近くの時間が過ぎてしまったわけだから、高齢化と過疎が進んでいても仕方がない。

かつての下栗は、冬なのに小さな花がここかしこに溢れていたが、もはや狭い耕地を維持するのがやっとという様相だ。僕らが撮影をしている時も、腰の曲がった老人が畑の手入れをしていたが、おそらくこれがリアルな下栗の現実なんだと思う。

一方で村の頂上の一等地には、「天空の村」としてにわかに脚光を浴びてしまった下栗の別の顔があった。売店や公衆トイレが新たに建てられ、そこは南アルプスの眺望スポットになっていた。人口が減る一方で、観光誘致のインフラが進むというカオス。日本全国で見られる歪みが、この山村にもあった。

南アルプスを東側や南側から観る機会は意外と多い。中央道を走っていても、北岳あたりは綺麗に見える。だが、そうした山容を観ていても、ここにこんな集落がある気づく人はほとんどいない。

下栗を取材中に、山岡巨匠と僕の共通の知人から、「実はウチの母方は遠山一族なんだと」というメッセージを頂いた。それはすごいなぁと思いながら、宿泊先のご主人の「知り合いの先祖が遠山氏らしいんですよね」と言ったら、「どの地域に住んでいた人かな? 遠山氏は民衆の一揆で滅ぼされちゃったんだよね」と。

その知人は僕の先輩なのだが、そういった遠山氏の歴史を知ってか知らずか…。微妙なトリビアを知ったが、気を取り直して、メインカットとなる撮影の準備に。実は下でご紹介する、下栗の村の全容を撮るにはかなりの苦労があった。この写真の撮影場所は、比較的最近作られた展望スポットなのだが、車道から20分近く歩かなければならないのだ。

村の頂上からジムニーで15分ほど走って登山道入口まで巨匠を送り、巨匠はそこから徒歩で撮影ポイントへ、僕は再び20分かけて下りて、村の中へと戻る。クルマの位置決めは無線で行うのだが、とにかく軽自動車1台でもいっぱいの道だから、他のクルマが来たら、ゼロから位置決めはやり直しだ。

何度も場所を変えながら1時間近くかかって撮影を終えたが、終える頃にはすっかり村内で不審者になっていた。

この近辺の風土や観光情報については、フィールダー本誌をご覧いただければ幸いだ。今回は、日本の中に下栗という美しい村があることを知っていただければと思う。

悲観的な見方かもしれないが、やがてこの下栗は天上に立ち上る煙のように消えてしまうだろう。下栗の美しさは、長年人の手で保たれてきた耕作地にあり、それが消えれば、下栗もないに等しい。人の業は永遠ではなく、いずれ野に帰るのが理だ。

数百年も続いてきた由緒ある集落だが、時代の価値観の変化は僕らが考えているよりもずっと速く、下栗はその流れの中に沈もうとしている。寂しい話だが、天空の村の美しを観るのは、今なのかもしれない。

<文/山崎友貴 写真/山岡和正>