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13.10.18

ライター緒方昌子のラリーモンゴリア参戦記.その1

~思いがけないナビのお誘い~
2012年11月30日、SSERオーガニゼーションの2013年のさまざまな大会イベントの発表会が東京・恵比寿で行なわれた。発表会後には懇親会も開催され、これまでラリー・モンゴリアに出場した顔見知りが多く参加して、にぎやかなひと時を過ごしたのを覚えている。この日、ちょうど自分の誕生日で、ダカールラリーの取材で十数年前から懇意にしてくださっている日本レーシングマネジメントの方々が、会場の片隅でお祝いをしてくれていた。
そのとき、2年連続でラリー・モンゴリアに出場した橋本武志ドライバー(写真左)が、「来年ナビやらない?」と、気軽に声をかけてくれた。橋本ドライバーも、日野自動車のメカニックとしてダカールラリー経験を積んできた人で、やはり数年前からの知り合いだった。私は、長年ダカールラリーのヨーロッパステージ取材に娘連れで行っていたが、ステージを南アメリカに移したあと、三菱の撤退とともにダカールラリーは遠い存在になってしまっていた。また、チームAPIOが2005年を最後にダカールラリーから退き、ジムニーでラリー・モンゴリアに出場するようになってから、ずっとプレスとしてモンゴルに行きたくて仕方なかったことを彼は知っていた。とても嬉しいお誘いではあったが、エントリーフィーやら渡航費やら、躊躇する材料が溢れた。そこで、橋本ドライバーは、「エントリーフィーはなんとかする。プレスという立場でなく、ラリーの出場者としていろいろな事を見ることも大事だよ」と、背中を押してくれた。生まれて半世紀の日に、すごい誕生日プレゼントをいただいたものだ。

Profile------------
カーライフジャーナリスト 緒方昌子(写真右)
自動車雑誌、単行本編集者を経て、フリーランスライター&編集者、そしてカーライフジャーナリストとして活躍中。

信頼関係を築こう…TDRで練習してみたら心配事が山積みに

お世話になったガーミンのGPS

その後、いろいろな人の意見を聞き、正式にナビとして出場することを決意した。それからは、あっという間に時間が過ぎたのだが、橋本ドライバーは、まずお互いの人となりを知っておこうということで、ご実家や育った場所を案内してくれた。もちろん、私の家族にも会っている。これって、意外といい案で、人柄をよく知ると、お互いにおもんばかることができる。ラリーの間は、四六時中一緒に過ごすのだから、大事なことだと思う。
常日頃、ドライバーとナビは、ケンカして物別れになることが多いと、ダカールラリーやラリー・モンゴリアなどに出場経験のある諸先輩方からの経験談を耳にしてきた。ナビは、1998年にロシアンラリーで、プレスカーのナビをやった以来のことなので、諸先輩の言葉はありがたく受け止めた。あの時に教えられた「ナビはドライバーが間違ったことを言っても、笑顔で“はい”と、返事をすること」という記憶がよみがえる。でも、一方的でいいものか。一度物別れになると、走っている時以外口をきかないという話も聞いている。となると、どうやって信頼関係を築くか、これが一番大事なのではないだろうか。

TDRのSSゴール

そして、3月になると、練習のためにSSERが主催している『TDR 2DAYS 2013』に参加することになった。「ラリーの第一歩を」というイベントで、ドライバーとナビが協力し合って、ゲームやコマ図を使ったラリーを楽しむもの。できれば、モンゴルに出場するジムニーJB23で練習といきたかったが、ちょうど修理&車検ということで、違うクルマで参加した。静岡県の磐田市での開催だったので、現地に着くまで、GPSの見方を教えてもらったり、モンゴルの話で盛り上がったりで、あっという間に到着。TDRでのコマ図を使ったラリーは、普通乗用車でも走れるように、ダートだけでなく舗装路のコースも設けている。日本の道路は、目印となるものが多く、コマ図での分岐がわかりやすい。おかげで、ミスコースもなく、順調にゴール。第一日目の「ミニバイのタイムアタック」などのポイントを総合して、二輪、四輪を合わせた48台中総合10位に入ることができた。
それでも、遠慮しすぎて、コマ図の説明が丁寧過ぎてしまうとか、分岐点までの距離カウントが上手くできないとか、ナビとしての課題は山積みのまま。しかも、モンゴルでは、薄いピストと呼ばれる轍を追いかけて行く。日本の林道とはわけが違う。それに、GPSの見方、操作の仕方を、ちゃんと覚えないと、ミスコースした時に、オンコースに戻ってこられない。そう考えると、アナログ世代の自分が、GPSを使いこなせるようになれるのか心配で仕方なかった。

国内車検&船積みに向けて

車検に間に合わせて作ってもらった日の丸

また、4月に本エントリーの書類が届き、5月後半にはエントリーフィーの支払い、愛媛県松山市で車検&船積みが行なわれるということで、橋本ドライバーも慌ただしくなった。しかも、車検直前に、エンジン不調により、リビルトエンジンに載せ換えなければならなくなったので、APIOに急いで依頼して作業してもらい、松山に出発する少し前に換装完了。しかも、マシンのネームステッカーのところに貼る国旗ステッカーがないということで、急遽、神戸の知人が日の丸ステッカーを製作して送ってきてくれるなど、なかなかスリリングな段取りだった。
その頃、私は本エントリー書類に書かれているさまざまな準備にバタバタと動き回った。スケジュールを立てる必要があったのが、破傷風の予防接種。最低2回の接種が必要で、1度接種したら1か月は間を開けなければならないため、うかうかしていられない。予防接種は、財団法人日本検疫衛生協会のやっている診療所や、パスポートセンター近在の病院、または外科などで接種してくれるが、健康保険適用外なので、1回の接種に5000円弱かかることがわかった。私の場合、時間があまりなかったこともあり、地元の外科でお願いした。今回2回接種したので、来年もう1回接種すれば、およそ10年間は効力が続くそうだ。昔から知っている医者が「ふーん、モンゴルでラリーねぇ。10年は行けるよ」と、笑った。

船積みする別送品はリストと照合して厳しくチェック

そして、国際運転免許証の手続きに運転免許センターへ行き、シュラフやマットなどの持ち物を総チェックした。8日間のラリー中に着る服のことや食器セットのことなど、ラリー・モンゴリアにチームAPIOで出場した経験を持つ若林葉子さんに相談して揃えて行った。2013年のチームAPIOのメンバーは、皆男性なので、下着や靴下の枚数とか、トイレの話とか、若林さんの助言には感謝! 女性ならではのアドバイスがとても役立った。
持ち物については、ダッフルバッグに入れて船積みするものも、カルネが必要になるため、装備品リストを細かく書いておく必要がある。出場車両、マシンについても細かく積載品リストを作らなければならない。マシンにシュラフやマットを積んで送る場合は、スペアタイヤや工具などのほかに、きちんと記載する必要がある。本エントリー書類の準備は、橋本ドライバーと一緒に時間を作って記入したものの、マシンに積載するリストについては、多忙な橋本ドライバーとなかなか連絡がつかず焦った。期限ぎりぎりで提出するまで、初めてのこととはいえ、要領を得ない自分に苛立ったものだ。

不安だらけのままモンゴルへ

車検手続きで渡航案内を受ける

そして、松山での車検&船積みをなんとか無事に終えた。そうそう、モンゴルへの渡航日やウランバートルでのホテル滞在費用、ラリー中も保険をかけられる海外旅行保険の案内を受けるのもこの時。7月中旬までに、すべての手続きを終えると、ナビの私のもとにだけ、コマ図とGPSポイントの表が送られてきた。
橋本ドライバーに連絡すると、私のつたないGPS操作を心配してか、GPSポイントの表データをメールすると、入力を担当してくれた。GPSポイントからモンゴルの地図上にコースの軌跡を出して、「こういうところを走るんだよ」と、見せてくれた。私はというと、トリップメーターの係数の計算表も尾上さんから頂いていたが、彼は「大丈夫だよ」と、落ち着いていてあまり気にもしていない様子。私としては、トリップメーターの距離合わせをしていないことが気になって仕方なかった。お互い血液型はO型なのだが、細かく気を使うポイントがズレているのかもしれない。チームAPIOとしてJB23に乗り、毎年尾上さんと勝負しているダカールラリーの鉄人菅原義正さんが、常々「ラリーは準備8割、本番2割」とおっしゃっている。一抹の不安を抱きながら、心はモンゴルへ。もう、あとは現地で何とかするしかない。大丈夫かぁ私。
出発前夜、ずっと相談にのってもらっていた若林さんが心優しいメールをくれた「向こうに着いたら、モンゴルの大地の神様に挨拶してくださいね」。そのメールのおかげで、なんだかもやもやした不安も、全部吹き飛んだ。ケセラセラ~!


次回につづく!
Vol.2は来月11月18日公開予定!

抱負をインタビューされました
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