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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.077
いい国タイムトラベル[鎌倉]
いい国タイムトラベル[鎌倉]

平日でも多くの観光客で賑わう古都鎌倉だが、歩いて行けるスポットは限られる。
狭い道でもどんどん行けるジムニーは、まさに鎌倉探検にはうってつけだ。
普通ならちょっと入っていかないような袋小路の先に、意外なスポットがあるのがこの街なのだ。
後半は、探検隊が見つけたちょっと意外なスポットをご紹介しよう。

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自然と文化に溢れた鎌倉はカフェ天国

豊かな鎌倉の自然の中で優雅にティータイムが楽しめる「樹ガーデン」。(写真は公式HPから)

鎌倉に行くと、とにかく女性の観光客が多いのに驚かされる。古都が醸し出す独特の雰囲気が、女性心をくすぐるのかもしれないが、もうひとつ人気の要因となっているのが、カフェやレストラン文化が独特ということだ。

自然に中にあったり、古民家を改造したりと、とにかく個性的でユニークな店が多いのはたしかだ。我が家もそうした店を探して行くのだが、滅多にハズレはない。やはり民度の高い鎌倉の住民を満足させるには、一筋縄ではいかないということなのだろう。

今回の探検ですごく楽しみにしていた店がある。「樹ガーデンだ。鎌倉駅から市役所通りを西に少し走った山の上にあるカフェである。ここは元々は某企業の社長の別荘だったらしいが、カフェに転用されている。

クルマは市役所通り沿いにある駐車場に駐めて、そこからは階段をずっと登っていくので健脚向きのカフェだ。ちょうど昼時、パスタでもいただこうと思って張り切っていくと、なんと定休日…。がっくり。残念だが、雰囲気はお伝えしたいので、公式HPに出ている写真をアップしておく。

ちなみに、僕がおすすめしたいお店は佐助のほうにある甘味処の「みのわ」。ここはサスペンス劇場に度々登場しており、くずきりが名物だ。それと和田塚駅のすぐ前にある「無心庵」。おばあちゃんの家に来たみたいで、何とも心地良い。あと、作家・大佛次郎がもてなしの家として使っていたものをそのまま利用している「大佛茶廊」。ここも庭の雰囲気がいい。

漫画家・横山隆一氏の邸宅の庭が、いまもそのまま残るスターバックスコーヒー鎌倉御成町店。季節には四季の花が咲き乱れる。

誰しもが1度は「鎌倉に住んでみたい」と思うだろうが、こうした店に入ると超お手軽疑似体験ができる。

さて樹ガーデンに入れなかった失意の僕は、市役所まで戻り、その前にあるスターバックスに入る。「ええ、スタバ?」と思われる方も多いと思うが、ここのスタバはちょっと普通ではない。普通ではない理由その1は、このスタバは葉山の日本料理の名店である日影茶屋とのコラボで生まれたということ。理由その2は、ここは「フクちゃん」でお馴染みの漫画家・横山隆一氏の邸宅だったところにあるということだ。

「フクちゃん」なんてかなり年齢層が上か、早稲田大学のOBや在校生じゃないと知らないかもしれないが、昭和に流行した新聞の4コマ漫画。トリビアだが、崎陽軒のしゅうまいの醤油さしの「ひょうちゃん」も横山氏のデザイン。

横山氏が愛した邸宅は壊されてスタバの店になっているが、ここにある庭は横山氏が住んでいた時のまま。藤やアジサイ、梅などの四季の花の他に、なんとプールまであるのだ。雑踏を見ながらコーヒーを飲む都会のスタバとはひと味違う。

季節によってはウッドデッキに座布団が置かれ、花を愛でながらコーヒーを楽しむことができる、意外な名店だったりする。まあ、コーヒーはスタバの味だが。駅のすぐ側で、隣に駐車場もあるので1度お立ち寄りを。

悲しい歴史があった稲村ヶ崎

新田義貞が鎌倉攻めの時に、干潮を利用して稲村ヶ崎を越えたことを示す碑。

区役所通りをひたすら西に進むと、やがて高級級住宅街で有名な鎌倉山へと入る。途中脇道に入り、「ああ、ジムニーで良かった」と思える細街路をグネグネと走り続けると、やがて海沿いに出る。ちょうど稲村ヶ崎の辺りである。

稲村ヶ崎と言えばジェーンであり、サーフスポット。僕などは国道を通過する際に見るランドマークでしかないが、この探検の折に歩いてみることにした。稲村ヶ崎は公園になっており、平日でも子供やママ友たちが日がな一日を過ごしている。

公園に入ってすぐに目に付いたのが、写真の石碑だ。「新田義貞徒渉伝説碑」とある。新田義貞は群馬県太田の御家人で、足利尊氏と共に鎌倉幕府を滅亡させた人物である。最初はわずか150騎で太田を出た新田軍だったが、方々から反鎌倉派の武士たちが集まり、最終的には40万騎になって鎌倉を攻めた。

ところがそれだけの多勢でも、さすが要塞都市・鎌倉。切通しを突破することができず、かえって徐々に味方が討ち死にする有様。鎌倉の周囲をグルグルとした新田義貞だったが、この稲村ヶ崎に陣を移した。だが海には北条方の軍船がいるし、この断崖絶壁の稲村ヶ崎を多勢で進軍するのは不可能だ。そこで義貞は金の剣を海中に投げ入れ、龍神に「どうか鎌倉に入れますように」と都合のよいお願いをした。

すると何と翌日、稲村ヶ崎の海中に大きな干潟が現れて、北条方の船も引き潮で遙か沖合にやられてしまった。こうして新田軍は一挙に鎌倉に攻め入り、北条方は滅亡したのだという。もちろん自然現象なのだが、当時は神の力として信じられたのだろう。それに、後醍醐天皇に味方して討ち死にしたことから、忠孝の将として大東亜戦争の頃まで人々に敬愛されていた。だから石碑ができてしまったのだろう。

余談だが、建武政権に反旗を翻した足利尊氏は逆賊として捉えられ、戦時中にはあまりいい武将とは思われていなかった。だから鎌倉にある尊氏の墓も、小学生に「この尊氏奴め!」と足蹴にされていたというエピソードが残る。

海側から見た稲村ヶ崎。崖の下にトーチカの銃眼が開いているのが分かる。

階段を登っていくと小さな広場があり、そこは何となく陰鬱な雰囲気が漂う。古ぼけた展望台があるのだが、なぜか柵で囲まれて入れない。どうもここは自殺の名所でもあるようで、命の110番の張り紙がある。

階段を下りて、崖のほうに海から回ってみた。砂岩質の磯があって、崖下まで行けるような感じだったが、この日は潮が満ちていて無理だった。だが崖下にあるモノが眼に入った。どうみてもトーチカである。こんな所にも軍事施設があったなんて初耳だ。

実はこのトーチカは、戦争末期に海軍が造ったもので、ここに「伏龍」という特攻兵器の基地があったのだという。伏龍はまさしく人間兵器で、ゴムでできた粗末な潜水服を着て、先に機雷の付いた棒で敵艦船を突くという狂気の兵器だ。呼吸用の器具がまたお粗末で、横須賀で訓練中に10名が亡くなっている。結局、戦果を上げることなく終戦になってしまったが、仮に上陸用舟艇が本土に迫っていたら、もっと人が死ぬことになっていた。

右の写真の見えない部分に洞窟があり、そこが伏龍の待機陣地となっていたようだ。潮が引けば、洞窟の入口までは行けるようである。稲村ヶ崎は湘南の名所であり、サザンの歌にも度々出てくる陽気な場所だが、その陰には歴史の悲しい一面があったのである。

気持ちが凜とする庭2選

青々とした竹林が美しい報国寺の庭。中にある休憩処では、抹茶が楽しめる。

鎌倉時代には禅宗が流行した。武家社会ゆえに、精神修養という点が合ったのかもしれない。鎌倉にも禅宗の寺がたくさんある。禅宗と言えば、石庭がお馴染みだ。僕は特に枯山水が好きで、各地の石庭を見て回っている。庭はただきれいに造ってあるのではなく、釈迦のいる天上界を表現してあったり、様々な理を表現していたりする。それを見ながら真理を追究し、小さな悟りを開いていくという仕掛けになっている。

残念ながら、鎌倉には大した庭がない。あっても最近造ったものだったり、なんのプロトコルもない庭だったりする。そんな中で、これは是非観ていただきたいという庭をふたつご紹介しよう。

まずは報国寺。ここは別名「竹寺」と呼ばれており、その名の通り竹林が有名だ。本堂の裏には枯山水もあり、竹林と両方楽しむことができる。河野隊長もお気に入りのスポットだ。

竹林の中には休憩処があって、300円出すと、抹茶と落雁を楽しむことができる。ところが残念ながら、昨今の豪雨に対応するため、2016年2月末までお茶席は中断している。3月からは再開されるので、ぜひ行っていただきたい。

ちなみにこの寺は、北条氏の跡を継いで鎌倉をおさめた鎌倉公方・足利氏の菩提寺で、永享の乱で幕府の足利氏に攻められ、この寺で鎌倉公方の足利氏は滅亡してしまった。鎌倉公方と関東管領・上杉氏の戦いについては、また日を改めて探検したいと思う。

夢窓国師が作庭した「石庭」。自然のままにように思えるが、実は深い計算の上にできている。

さてもう一ヶ所は報国寺の側にある「瑞泉寺」だ。ここは別名「花の寺」と言われ、観光客に人気のスポットだ。鎌倉の深い谷にひっそりと建っている寺で、夢窓国師が造ったと言われている。門をくぐると苔むした古い階段があり、それを登り切ると、再び山門がある。

山門から先には、禅宗の真骨頂と言える境内が広がっている。門の前には枯山水があり、さらに本堂の奥へと進むとダイナミックな「石庭」が広がっている。鎌倉ならではの地形を使い、周囲の自然や景観を借景にした、素晴らしい庭である。

目の前には自然の浸食作用で生まれた洞窟があるが、その中には様々な彫刻があるらしい。また崖の上には溜め池があり、必要な時にはそこから水が流れる仕組みになっているんだとか。

国師は作庭の名人で、日本各地に名作と言われる庭園を造っているが、このようなダイナミックな庭は鎌倉でしかできない。鎌倉に行ったら、ぜひ訪れたいスポットのひとつだ。

鎌倉一の絶景ポイントで超高級住宅街

披露山公園の中にあるニホンザルの檻。下の円形部分は高射砲陣地の名残り。

湘南地方の方にはお馴染みだと思うが、意外と知られていない絶景スポットをひとつ。鎌倉から葉山に向かう途中にある披露山だ。披露山は、鎌倉時代に将軍家への贈り物を披露する山だったとか、贈り物を管理する役人の邸宅があったとか諸説がある。

現代の披露山は、ビバリーヒルズ並みの高級住宅街としても知られている。行ってみると分かるが、庶民には腰を抜かしそうになる豪邸が建ち並んでいる。あのグレートティーチャーと家政婦さんご夫婦の家もここにあるらしい。

高級住宅街のさらに上にあるのが、披露山公園だ。園内に入ると小さな動物園があって、家族連れも楽しめる様になっている。ここには不思議な丸が3つある。ひとつは生け垣、ひとつはニホンザルの檻、そしてひとつは展望台の基礎。

実はこの丸は戦時中の高射砲陣地で、小坪高角砲台という海軍の施設だった。高高度で首都圏に入ってくるアメリカ軍機を打ち落とすために造られた。3つの砲台基礎はそのまま公園設備として活用されているが、レストハウスの基礎部分もまた、監視所だったものを流用している。

さて特筆すべきはここからの眺望。鎌倉、葉山方面のパノラマが眼前に広がっている。条件が良ければ富士山も観られる。こうして見ると、やはり鎌倉というのは実に戦略的にいい場所だということが分かる。現在は狭い平野部に住宅がぎっしりと建っているが、当時ここから見ると、武士の理想の都が山と海に守られるようあったのだろう。

鎌倉には数えきれぬほど来ているが、まだまだ知らないことがいっぱいありそうだ。今回の探検でもご紹介できなかった場所がまだまだあるが、また回を改めてお知らせしていきたい。

さて、ジムニー探検隊も気づけば何と40回。ここまで続くとは思っていなかったが、皆様のおかげでJB23/43型なみにロングライフになっている。日本にはまだまだ探検すべき場所があるので、これからも応援していただけると励みになります。それでは2015年最後の回になりましたが、来る2016年が皆様にとってさらにいい年になりますよう。

<文・写真/山崎友貴>

鎌倉の細街路は、ほとんどがこんな道。ジムニーだからこそ通れる道が多い。
鎌倉の中心となっているのが鶴ヶ丘八幡。かつては上宮は将軍など一部の人間しか参拝できなかった。
鎌倉と言えば、江ノ電。元々軽便鉄道だったが、住宅街を走り抜ける独特の雰囲気がマニアにはたまらない。
鶴ヶ丘八幡の境内にある神奈川県立近代美術館鎌倉館。建築はあの板倉準三の手によるもの。