JIMNY LIFE ジムニーをとことん楽しむ僕らのライフスタイルマガジン JIMNY LIFE ジムニーをとことん楽しむ僕らのライフスタイルマガジン

CATEGORY MENU

日本再発見ジムニー探検隊
VOL.072
播州の光と影[赤穂城・姫路城]
播州の光と影[赤穂城・姫路城]

いよいよ探検隊は今回のハイライト、姫路城へとジムニーを進める。
江戸時代以前に築城されながらも、いまだ当時の天守がそのまま残る貴重な城だ。
世界遺産にも指定されており、今年4月には平成の大改修を終えてお披露目されたホットな城郭だ。

画像をクリックすると拡大します。

天守の大改装を終えて、築城当時の白さが蘇った姫路城。戦争にも耐えた幸運の城である。

「美しい」。僕が姫路城を見るのは、これが二度目だ。前回訪れたのはもう30年近く前だが、もちろんその頃の姫路城は“黒”かった。今回、時間を経て観てみると、やはりこの城に込められた美意識のすごさが再認識できる。

姫路城は姫路市街の外れに位置し、姫山と鷺山に築かれた平山城だ。南北朝時代には赤松氏がこの辺りに城を築き、戦国期後半になると小寺氏の家臣である黒田氏(黒田勘兵衛の一族)が近世城郭を築城した。

後に羽柴秀吉が中国征伐の拠点とし、黒田勘兵衛は城を秀吉に譲ったとされている。秀吉が城代となった時に、当時流行していた石垣が築かれた。だが、それも現状の姫路城のごく一部であり、秀吉の後に城主となった池田輝政が8年もかけて大改修を行い、ほぼ現在の姿になったとされている。

その後、徳川の譜代大名や親藩大名が城主を務めたが、姫路城のラッキーが始まるのは明治以降である。ご存じの通り、明治には政府から廃城令が発布されて日本の多くの城が取り壊されてしまったが、姫路城は競売にかけられ、地元の金物屋の主人が現在の金で約10万円で落札したのでる。

実は瓦や鉄骨を転売する目的で購入したという説もあるが、いずれにせよその後姫路城は陸軍省が買い取ることになる。明治も中期になると世の中が落ち着き、城を保存しようという動きが出てきた。明治43年には国費による姫路城の大修理が始まった。

城の北側は堀に沿って公園が整備されている。堀からせり上がるように山、城と続く造りは、難攻不落ぶりを窺わせる。

明治の大修理が終了とすると、姫路市は陸軍が使っていない本丸、二ノ丸、三ノ丸などを借りて姫山公園を整備。一般に姫路城を公開した。

日本は大東亜戦争に入り、昭和20年7月3日の姫路空襲で市街は焼き尽くされたが、姫路城大天守に着弾した焼夷弾は何と不発。他の場所に落ちた焼夷弾もすぐに消火され、城は奇跡的に難を逃れたのである。もしここで壊滅的被害を受けていたら、姫路城は「暴れん坊将軍」や「影武者」にも出てこなかったということになる。

昭和には3回にも及ぶ大修理が行われ、さらに平成の大修理と、姫路城はその規模と美しさをほぼ築城当時のまま現代に受け継いだのである。

本来の縄張りはもっと広かったのだが、それでも現在の姫路城の内曲輪内は23ヘクタールと日本最大規模だ。僕と山岡巨匠は内曲輪の周囲を半周しただけだったが、かなりの距離を歩かされた。

城の南側は堀で隔たられた平城の造りだが、北側は姫山、鷺山が来るものを拒む山城の造りとなっており、実に興味深い城だ。訪れた際はグーグルアースなどで航空写真を見ながら行くと、その造りの巧みさをさらに認識できると思う。

生まれ変わった大天守にいざ!

休日ともなれば、大天守に入るのに1時間以上待つこともざら。

姫路城の特徴は、比類なき美しさの「連立天守」だ。5層7階の大天守と、東、西、乾(北西)の小天守が渡り櫓で連立的に組み合わされた天守閣である。幾重に重なる千鳥破風や唐破風が、この城を一層優雅に見せている。「白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめづくり)」の城壁で、白鷺城の別名で人々から愛されている。

白鷺城の名称については諸説色々あるが、黒い板張りの岡山城が「烏城」と呼ばれてからという説がしっくりくる。ちなみに戦国の中世城郭はほとんんどが「鎧下見板張」だった。世間では「豊臣方の城は黒、徳川方の城は白」とか言う人もいるが、これは少し間違いだ。この中間の白黒の城もあるし、徳川方の城も昔は板張りだった。

漆喰塗になったのは、戦に鉄砲を使うようになったからだ。城攻めで鉄砲が使われた時、弾丸が板張りを貫通すると燃えて延焼する恐れがある。漆喰であれば防火防炎性が高いから、安土桃山後期から江戸にかけて漆喰塗の城が増えていったのである。ただ漆喰にするときれいなので、装飾的な役割もあっただろう。

さて僕らが姫路城を訪れたのは、大天守の一般公開が再開されてから日が浅く、しかも週末だった。そのため、内曲輪に入る城門から大天守まで長蛇の列。なんと1時間以上待つという。ここまで来て観ないわけにはいかないので並んだが、この混雑は不幸中の幸いとなった。

ひとつは途中にある遺構がしっかりと観られたことだ。矢狭間や塀、門の構造は非常に興味深かったし、石垣の石にはひとつずつ符丁が彫られていておもしろい。そして、大勢の人が並んで動くことで、この城が攻められた時の防御の工夫が実体験として分かった。

城までは螺旋を描くように何層もの曲輪を通過していくのだが、大天守に向かって攻めていって近づいているはずなのに、一向に近づいているように見えないよう考えられている。各門は極端なボトルネックになっており、具足を付けた場合はスムーズに通れないように計算されている。モタモタしてれば、櫓の矢狭間から鉄砲や矢を射かけられて、そこで終了…である。戦闘のための城なのだから当然だが、美しいだけではない凄みがあるのだ。

「油壁」と呼ばれる、羽柴秀吉時代の遺構。

大天守に登るには二ノ丸から直接行くルートと、西の丸を見学しながら回るルートがある。今回は時間の制限もあったので、西の丸は次の機会にした。ここから眺める大天守も相当美しいという。

姫路城にはこんなエピソードが残っている。池田輝政時代の改修で、城普請にあたった大工の棟梁・源兵衛は、9年間寝る間も惜しんで城造りに打ち込んだ。ようやく完成した城を眺めていると、とくに腐心した天守閣が巽(東南」の方向に少し傾いているように見えるのだ。そこで妻を連れて天守に登ると、妻も「お城は立派ですが、巽のほうに傾いているように見えます」と言う。

「女の目でも分かるほどなら、自分の測った寸法が狂っていたに違いない」と源兵衛は悔やみ、ノミをくわえて天守閣から飛び降りてしまった。近代の改修で解体したところ、実際に天守閣は傾いていたそうである。だがそれは寸法違いではなく、東と西の石垣が沈んでしまったためだった。

昔の職人のプライドや責任感はすさまじいばかりである。僕も見習わないといけない。ただ誤植の度に飛び降りていたら、ちょっと身が持たない気がするが…。

往時の雰囲気が十分に味わえる天守閣

天守閣の内部は、安土桃山期から江戸期の雰囲気を再現した展示に変更された。

グルグルいろんな所を回されて、ようやく天守閣の内部へ。かつては昔の遺物を展示する博物館のような造りだったが、平成の大修理によって、より城の構造が分かるようにシンプルな展示に変更されている。また照明も往時の雰囲気を再現するため、行灯のような暗い光になっている。だが、こちらのほうが断然いい。城によっては蛍光灯が煌々と灯されているが、実に興ざめだ。

よく黒澤映画を観て「昔だって、こんなに暗くないだろう」と思ったものだったが、実際は昼でも相当暗い。そもそも城は住む施設ではないので、窓が小さいのだ。姫路城にも妖怪伝説や開かずの間があるが、これは夜に1人では絶対に来られない。ちなみに剣豪・宮本武蔵は平気で歩き回っていたようだが。

窓から外を覗くと、直したばかりの瓦と白い漆喰が眩しい。瓦は目地を漆喰で埋められ、この漆喰が姫路城を白くを見せているのだ。修理直後は「白すぎる」と不評だったが、築城当時の色がこうなのだから仕方がない。前述のように僕は昔、黒かった姫路城を観たが、レストアで新品同様の姫路城と、経年劣化した姫路城の両方が観られるなんて、どの時代の人よりもラッキーだと思う。

修復された瓦の目地部分。あと何年かすると、また黒くなってしまうのだろうか。

大天守からの眺めは素晴らしいものだったが、とにかく混雑でおちおちと外など眺めていられない。オートマチックに歩き、いつの間にか外に出されてしまった。だが、外に出ても見所はいっぱいだ。

羽柴時代に石垣の石が足りず、城下の貧乏な老婆が献上した古い石臼「姥が石」や、「1ま〜い、2ま〜い」でお馴染みの播州皿屋敷・お菊の井戸など、いわく付きのスポットがいっぱい城内にはある。

関東からだと姫路はちょっと遠いが、関西方面に出かけた際は、是非とも姫路城に寄っていただきたい。できれば小牧で下りて、国宝犬山城とセットで観ると、日本の城の魅力の虜に一気になるはずだ。

今回は赤穂城と姫路城を探検したが、実は日本には城が多いようで“オリジナル”の城は12しかない。それ以外は、戦後に復元されたり、なんちゃって天守や櫓が建てられたものばかりなのである。破壊の原因は廃城令や空襲によることころが大きいが、たった12しかない現存天守はまさに日本の宝。城に興味はないという方も、一度はぜひ観ていただきたい。日本人の技術の凄さを、改めて実感できるはずだ。

<文/山崎友貴 写真/山岡和正、山崎友貴>

大石邸の長屋門に再現された、国元第一報の様子。江戸から赤穂まで3日で事件が報された。
赤穂城の天守台。江戸城のものにも劣らず立派だ。結局、天守閣は建たなかった。
大石内蔵助など四十七士が祀られた大石神社。
大石が討ち入りの際に使ったという軍配。ほんもの?
大石が討ち入りの際に使ったとされる軍扇。ほんもの??
「暴れん坊将軍」お馴染みの角度から、僕らも姫路城を望む。
平成の大修理で交換されたおニューの鯱。なぜ改修のたびに替えるのか?
門に使われている金具は、とても攻撃的。すごくロックな感じだ。"
往時の縄張りの様子を再現した模型。"
大天守から見た、いまの町の様子。下に西の丸が見える。"
お菊が飛び込んだとされる井戸。化け猫が油ペロペロ…とどうも混同しがちだ。"