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15.01.23

【vol.32-1】日本再発見ジムニー探検隊>>ネギだけじゃない中山道の宿場町[熊谷・深谷]

熊谷と言えば「日本一暑い街」、深谷と言えば「深谷ネギ」を連想する。
あまりにも有名な二つの埼玉の町だが、意外とどんな所なのかを知る人は少ないと思う。
かく言う僕も通過はするもの、わざわざそこに行ったことはなかった。
何やら文化の香りする...そんな嗅覚に誘われるがまま、埼玉の北部へと向かった。

熊谷直実の本拠地だった土地

鎌倉武士団のひとりだった熊谷直実。熊谷駅の前に銅像がある。

1990年代以降、どんどん日本の気候が亜熱帯性になったことにより、ここ熊谷市もある点で有名になってしまった。それは「日本で一番暑い街」というキャッチフレーズだ。夏になると必ずと言っていいほど、天気予報でここ熊谷市からの中継がある。

夏暑いから冬暖かいかというと逆で、赤城おろしのおかげで非常に寒い。しかし、熊谷がチョー暑いのは実は東京のせいだという説がある。太平洋から吹いた風が運ぶ東京のヒートアイランドの熱気と、フェーン現象で温められた秩父山地からの熱気が、ちょうど熊谷市上空でミックスするために、このような高温になってしまうというのだ。本当だとしたら、都民の僕としては熊谷市に何とも申し訳ない気がする。

さて、熊谷市が栄え始めたのは平安時代で、親王任国制度で平良文がこの地にやってきたことに端を発する。この平良文が来たことで坂東平氏が生まれるのである。平安末期になると、熊谷(くまがい)氏や久下氏などの武士団が興ったが、熊谷氏で有名になったのが源平合戦の「平敦盛」で有名になった熊谷直実(くまがいなおざね)だ。

熊谷の中心地には、ちょっと外れた場所に昔の香りがする所が残っている。製糸業で栄えた頃の残り香だ。

熊谷直美は元々平家だったが、石橋山の合戦から源頼朝の家臣となった。一ノ谷の戦いにおいての平敦盛とのエピソードが有名になり、現在までその名が残っている。

熊谷駅に行ってみると、駅前に直実の立派な銅像があって、恥ずかしながらその時初めて「ああ、熊谷氏は熊谷から名前が来てるんだ」と気がついた。ちなみに熊谷という地名は、熊谷直実の父である直貞が谷でクマを討ち取ったことから…という説もある。

江戸時代は忍藩、天領、旗本領が複雑に入り組んでいたようだ。ただ城下町ではなく、中山道の宿場町として栄えたようである。江戸時代から養蚕業が盛んで、それに伴って明治時代には製糸業の町となった。「熊谷染め」という染め織物もあったと聞く。

明治16年には上野-熊谷間で鉄道が開通し、熊谷で生産された生糸が横浜港から海外へ輸出されるというインフラが整った。そのため、熊谷はずいぶんと栄えたようだ。

華やかかりし時代の残り香

かつての熊谷の製糸業の様子を知ることができる「片倉シルク記念館」(写真は片倉工業HPから)

後半で紹介する深谷市もそうだが、ここ熊谷市もまた世界遺産・富岡製糸場とのつながり深い。もともと富岡製糸場は日本の製糸品質を上げるために造られた官営工場だったが、三井家の所有を経て、1939年から熊谷にある片倉工業が所有した。戦中・戦後も生糸を生産し続けた。だが生産量の減少から1987年に操業を停止。その後、同社によって大切に維持され、2004年に富岡市へと寄贈された。

富岡製糸場が非常に良好な状態で世界遺産になったのは、この片倉工業の尽力のおかげだと言われている。「売らない・貸さない・壊さない」を貫き、年間1億円以上かけたこともあるという同社の努力には頭が下がる。先見の明というのは、こういうことを言うのであろう。

その片倉工業が同社が経営するショッピングモールの脇で公開しているのが、「片倉シルク記念館」だ。この建物はかつての繭蔵だったもので、中では製糸業についての様々な展示がなされている。楽しみにして行ってみたのだが、何と臨時の休館日。残念ながら、次回の探検となった。

上熊谷駅のすぐ北側にある「星蹊園」。熊谷宿の本陣を勤めた竹井家が、幕末から明治にかけて造った。

熊谷の中心部をジムニーで回ってみると、意外と昔の街並みを散見する。熊谷駅からさほど離れていない石原駅のほうに、川越と並ぶ花街の跡があると聞いたので周辺をグルグルと走ってみた。花街の跡と呼ばれるものはとうとう発見できなかったが、住宅街のそこかしこに大正・昭和の香りを感じることができる。

熊谷駅のすぐ西隣の上熊谷駅近くに、「星渓園」という庭園がある。この回遊式の庭園は竹井澹如(たんじょ)という地元の有力者が、幕末から明治にかけて造ったものだ。竹井家というのは熊谷宿で本陣を勤めた家で、竹井澹如は維新後、初代の熊谷県会議長(当時は熊谷県だった)になった。政府の要職をすすめれたが断り、あくまでも地元熊谷の発展に努めた人らしい。

この星渓園には玉が池というのがあるのだが、そもそもは荒川の堤が決壊してできた池。熊谷駅近くを流れる星川の源流となっている。そこに竹井澹如が移り住み、趣きのある庭園にしたというわけだ。ここには昭憲皇后や秩父宮も立ち寄っており、熊谷市民にしてみれば特別な場所だったのだろう。

ちなみに竹井澹如は決壊でできた池に庭を造っただけでなく、ちゃんと熊谷堤の修復につとめている。庭自体は手入れが行き届いているものの、冬ということもあって少々趣きに欠けていた。春の夕べに、ここで杯なんてかたむけたら、さぞ気持ちいいに違いない。ちなみに入場は無料で、駐車場も完備している。

城郭の原点である中世武士の館

深谷上杉氏の家臣だった平山氏の館跡にある「平山家住宅」。平山家は深谷城が陥落後、この地に移り帰農。茅葺きは江戸中期の建物だが、敷地には堀や土塁の跡が残る。

このジムニー探検隊ではたびたび城郭を探検しているが、いわゆる「お城」というのは戦国期以降に発達した要塞だ。僕らの頭に浮かぶ城の形態は、鉄砲の普及によってあのようなカタチになったと言われている。

中世から室町期にも城はあったが、武家の多くは「館」に住んでいた。館は大抵、平地に建てられることが多いのだが、とは言え攻められた時のリスクヘッジもしなければならないので、自然の要害の地を選んだり、館の周囲に塀や堀、土塁などを、門の上には櫓を築いて守っていた。

ここ熊谷で多くの武士が興ったことは前項でもお伝えしたと思うが、最初に行った「平山家住宅」は深谷上杉氏の重臣だった平山氏の館だったところだ。平山氏は隣の深谷に住んでいたが、深谷城が豊臣秀吉によって落とされたため、この地に逃げて帰農したらしい。熊谷の風光明媚な農地に建つ平山家住宅は、現在、子孫の新井さんが住んでいる。

一般に公開されている茅葺き屋根の建物は江戸中期のものらしいが、そちらの見学はそこそこにして、母屋の周囲の藪へと入っていく。こんな藪にゴソゴソと入っていくとコソ泥と間違えられそうだが、ここにこそ「お宝」がある。藪の中には1mほど盛り上がった土塁や、50cmほど掘り下げられた土塁の跡が今も残っている。

堀は空堀だが、新井さんの家をグルリと囲むように造られ、ここに逃げてきた平山氏は帰農したとは言え、武士の心を忘れていなかったのが窺い知れる。この地に館を築いたのは1590年ごろというから、安土桃山時代末期ということになるが、ただ土を工事しただけの遺構がこのように残っているのは感激ものだ。

さて、熊谷市の一番南東にある「とうかん山古墳」は、ほぼ原形が残る貴重な前方後円墳だが、ここもまた館の一部だったと言われている。ここに隣接する吉見小学校からは堀や土塁の跡が見つかっており、ここに「北郭館」という館が建っていたらしい。ただし、それが誰の館だったのか不詳だ。古墳は館の物見台として使われていたというから、ちょっと面白い。

名刹・常光院は、藤原鎌足の子孫である中条氏の館跡に建てられた。境内には堀や土塁がはっきりと残っている。

さて、今度は熊谷市北東部へとジムニーを走らせる。上中条と呼ばれるこの地域もまた、典型的な埼玉の農耕地帯だ。遠くにうっすらと雪をかぶった赤城山系が見えて、なかなか風情のある場所である。ここにある常光院は、藤原氏が武蔵国に国司として下向してこの地で中条氏と名乗り、その館の一部に造った寺である。

1192年に建立されたとされるが、常光院は中条氏館の3分の1の敷地にあたる。ただし、常光院の周囲は農地となっており、館の遺構が残っているのは常光院のみだ。寺を訪れると、周囲をきれいな水堀と土塁、土塀で囲まれている。この水堀と土塁こそ、当時のものだという。

さらに門から境内に入ると、いきなり水堀と空堀が見受けられる。立派な茅葺きの本堂の裏手へと回ると、そこにも土塁と空堀の跡がはっきりと残っている。中条氏がこの地に来たのは1132年のことで、この遺構は典型的な鎌倉期の館跡と見られる。寺ということが幸いして、このように保存状態が良かったのかもしれない。

現在は近代的な農地に囲まれているが、中世、この熊谷で武士たちが跋扈していた様子を想像すると、思わず胸が躍ってしまうのである。

熊谷の新しい名物「ホルどん」

満願堂の「ホルどん」。熊谷産の小麦粉で作ったうどんと、同じく熊谷産むさし麦豚のホルモンをミックス。350円、安い!

早朝から市内と行ったり来たりしていたら、すっかり空腹。熊谷名物って何かないかと探してみたら、「ホルどん」というワークがヒットした。何でも2010年の熊谷B級グルメグランプリで優勝し、それ以降、熊谷がB級グルメとしてPRしている食べ物らしい。名前からすると、熊谷名物のホルモン焼きをご飯の上にのせたものだろう。

余談だが、僕や河野隊長が懇意している猟師&写真家に幡野広志氏がいる。その幡野氏と平家マタギの取材に行った際、ある店で「熊どん」というメニューを頼んでみた。間違いなく熊肉をのせた丼だと分かるのだが、幡野氏は来た料理を見て驚愕している。なんで?と聞くと、「熊どんって、くまモンみたいなものだと思ってました」。幡野氏は非常に独創的な写真を撮ることで売り出し中の新進気鋭だが、どうも思考も相当ユニークなようだ。

まさか「ホルどん」がくまモンみたいなキャラだとは思わなかったが、実際に店で出た料理を見て少なからず驚いた。なんとホルモンとうどんの組み合わせだったのである。なるほど〜。聞くとうどんは、熊谷産の小麦を使ってうっているんだという。

埼玉県は養豚と小麦の産地として有名だ。たしかに県内各地にはうどん屋が多いし、ブランド豚肉も多い。この両方をミックスしたのが、ホルどんだったのである。

こちらは「ふらい(松)」300円。行田の違って、具が入っていて美味い!

ちなみに味は甘辛醤油味で、非常に美味い。ホルモンも臭みがなく、それいて脂も適度にあって歯ごたえがいい。これが350円を出しているのは、「満願堂」というお店。地元の人に愛されている感いっぱいの小さな店だが、何でも良心的な価格だ。

ここには行田名物の「フライ」もあった。どうも隣町の熊谷でも、フライが名物になっているようだ。ご存じない方に説明すると、フライとは小麦粉をといだものを焼いたものだ。詳しくはジムニー探検隊Vol.1をご覧いただきたい。

行田で食べた時はどの店でも具というものが入っていなかったが、ここ熊谷のフライは具が入っているのがベーシックなスタイルらしい。どうせなのでフライも頼んでみると、これがまた美味い。申し訳ないが、行田のフライのレベルではない。初めて食す方は、薄いお好み焼きだと思って食べていただければと思う。

どうでもいいことだが、ここ満願堂のメニューは松竹梅で価格が違うのだが、松が一番高くて、梅が高いというのは、店主のこだわりなのだろうか。行く方はぜひ聞いていただき、その結果をアピオまでお知らせください。

左甚五郎作の彫刻もある国宝の寺

国宝の本殿がある「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)」。鎌倉初期に開山したとされる。

熊谷に国宝がある、と分かった時は正直驚きを禁じ得なかった。しかもそれが左甚五郎作となれば、なおさらだった。国宝指定がされている名刹「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)」は、熊谷市の最北端にある。間の前は利根川、それを渡ると太田市である。

さて妻沼聖天山は、平家方の猛将だった斎藤実盛がここに聖天を祀ったことが由来とされる。寺を建立したのは実盛の次男で、1197年と言われているから、鎌倉幕府が発足した直後だ。ただし、国宝となっている本殿ができたのは江戸中期のことらしい。

写真の立派な山門も1851年の竣工だというから、本殿と同じ頃、もしくはちょっと後ということになる。本殿の一部は最近になって大がかりな修復がされているものの、妻沼聖天山は江戸時代から今の姿を守り続けていることになる。

さて拝観料を払って、本殿の裏側へと廻る。この本殿が国宝に選ばれた理由がそこにあるからだ。本殿の裏にある「鷲と猿」の彫刻は、まるで天のものであるかのように美しい。

名工・左甚五郎作と言われる本殿の彫刻。聖天と人間の関係を、鷲と猿のストーリーで表している。

この彫刻は、鷲と猿のストーリーで聖天と人間の関係を表しているという。鷲が聖天、猿が人間。奢りたかぶることなく神仏を信じて生活すれば、追いつめられた時に神仏が救ってくれるということらしい。実に耳痛い。

さてこの彫刻を彫ったのは、かの左甚五郎と言われている。品川の回でもご紹介したが、左甚五郎は江戸初期の左官で、日光東照宮の眠り猫や三猿で有名となった。だが、ここで疑問が湧く。左甚五郎は江戸初期の人なのに、ここの建築は江戸中期だ。この100年の差は何と説明するのか?

聖天山のオフィシャルな説明によると、左甚五郎と言っても4代目か5代目というのだ。名工なので名跡を踏襲したというのは、なくはないハナシだ。じっくりと彫刻を見ていると、ユーモラスな表情の猿があたかも自分のように思えてくる。大修復を施したことで当時の色彩が蘇っており、より甚五郎たちが生きた江戸のエネルギーが伝わってくる。

中世の館跡に続き、ここもまた熊谷という町の懐の深さを実感するスポットだ。門前町は小さいが、気になる蕎麦屋などもあったので、また次回の探検で訪れてみたい。

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