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日本再発見ジムニー探検隊
VOL.060
都心に最も近い秘境[檜原村]
都心に最も近い秘境[檜原村]

2014年もわずかとなった12月中旬、ある一枚の写真を見て驚いた。
まるで宮崎県の高千穂峡を彷彿とさせるその風景は、なんと都内にあるのだという。
今回は、その美しい光景を探す東京の秘境探検。

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島嶼部を除いて都内唯一の村

檜原村役場の中にあるカフェ「せせらぎ」。銀座で長年カフェをやっていたマスターが旨いコーヒーを飲ませてくれる。まずは役場で観光地図をゲットし、コーヒーを飲みながら探検プランを練る。

実は僕は、奥多摩に行く機会が多い。趣味が登山ゆえだからだ。奥多摩は東京を代表する山が集中しているのだが、山にアプローチする場所は青梅市や奥多摩町に集中している。だから、というと言い訳になってしまうのだが、東京都に檜原村があることを永らく忘れていた。

檜原村は伊豆諸島を除くと、東京都で唯一の「村」だ。なぜ、平成の大合併で隣のあきる野市と合併しなかったのは分からないが、東京の最西端には大きな村が存在するのである。

20年ほど前はオフロードエクスプレス初代編集長のM氏と、仕事の合間を縫ってフライフィッシングに行ったのものだが、よくよく考えると釣り場以外はほとんど記憶がない。だからと言ってはなんだが、冒頭で書いた高千穂峡のような場所を知らなかったのである。

列島に記録的な大寒波な来たある朝、ジムニーは中央道を西に向かう。駐車場に置いてあったジムニーがフローズン状態になっていたような寒い日で、当然ながらシートヒーターを入れずにはいられない。

八王子ICを下りて、圏央道のために造られた新しい一般道を武蔵五日市駅の方に走る。武蔵五日市駅はすっかり立派になり、なんだか郊外に来た趣きを玄関口でくじかれたような気分だ。秋川沿いの道をさらに上流に走ること30分。やがて行政区はあきる野市から檜原村へと変わる。家はいきなり少なくなり、なぜここが「村」なのか、何となく肌で理解した。

檜原村は縄文時代から集落があった歴史ある場所で、かつては林業や製材業が盛んな場所であった。江戸は非常に火事の多い都市で知られているが、大火が起きると檜原村から切り出された木材が江戸へと運ばれて都市再興に使われたという。また炭も多くが江戸に運ばれたという。

現在の主幹産業は採石で、その他は農業で人々は生計を立てているようだ。檜原村は村役場がある本宿を起点に、西に3方向の道が伸びている。この道に沿ってそれぞれ集落があるのだが、明治に南部と北部で主導権争いが勃発して、昭和20年代頃は主導権争い、分村を争ったようだ。もちろん今はひとつの村となっているが、何となくその因縁を現在も引きずっているのではないか…と、無責任な外野は邪推してしまうのである。

檜原村は杉の植林が多いのだが、場所によっては風光明媚な自然の景観を観ることができる。

まあ村の裏側は置いておいて、この村の成り立ちというのは実に興味深い。というのも、それぞれの時代に色々な人が流れたきた「落人の里マクロ版」なのだ。落人の里と言えばやはり平家部落がメジャーだが、檜原村はまさに人種のるつぼ、まるで“ビッグアップル”だ。古墳時代にはモンゴル系や新羅系の渡来人が近畿地方からやって来た。8世紀になると河内から高麗系の人がやって来る。10世紀には政変で破れたやんごとなき源連(みなものとのつらぬ)」が来て、さらに鎌倉時代になると北条氏に追い出された和田義盛などの御家人が流れてくる。

どうしてそんなにこの檜原に落人がやって来るのか不思議なのだが、それは地理的なものかもしれない。檜原村を通る都道205号線は古代からあった甲州古道の一部であり、これを西に向かうと甲府盆地へと出る。甲州古道は飛鳥時代や律令時代には存在した街道だから、大和地方から流れて国府のある武蔵野台地に出る前に忍ぼうと考えても不思議ではない。

東京にもあった天然記念物

神戸岩はハシゴや鎖を使って行く場所もあり、ちょっとした冒険気分が楽しめる。昨今ではパワースポットとしても注目を集めている。

檜原村各地にはそれぞれの落人の伝説があるという。檜原村には不思議な読み方の地名が多いが、古来のロマンがそこに隠されている。これから向かう「神戸」という地名は「かのと」と呼ぶ。

ここらは武田遺臣が落ちてきて住み着いたと言われる地域だ。実は山梨県の初狩あたりにやはり「神戸」と書く集落がある。こちらは「ごうど」と呼ぶのだが、ここに武田家臣の屋敷があったとされている。「神戸」という漢字の並びは非常に珍しい。この一致は偶然だろうか。

村役場から西へ都道205号線をしばらく走り、ユースホステルひのはらの先を右折する。この辺りから神戸になる。集落を抜けてしばらく行くと、目指す「神戸岩」がある。神戸岩は東京都の天然記念物に指定されている渓谷だ。長さ60m、幅約4m、両岸の高さは100mもある。この渓谷こそ、僕が写真で見た場所だ。

この神戸岩はパワースポットと言われる。同じ檜原村にある大嶽神社の神域が始まる入口と言われている。神戸岩へのアプローチは橋のたもとからだが、ジムニーはその手前50mにある駐車場に駐めた。ちなみに神戸岩周辺は滑りやすいので、トレッキングシューズなどの靴をおすすめしておく。

ジュラ紀に形成されたという大きな峡谷の間を清流が流れる。冬はひんやりした冷気で溢れているが、その印象も鮮烈だ。

橋から河原に下りるといきなり木のハシゴを登ることになる。それを通過すると、渓谷の岩沿いに続く鎖場を慎重に進むことになるが、ここまで来るとその景観の美しさに息を飲むはずだ。この日も気温は十分に低かったが、1月に入ればさらに低温になるはずだから、足場の凍結には十分に注意していただきたい。

渓谷は全体に美しい色の苔に覆われ、冬とは思えない彩りが眩しい。周りを高い岩に囲まれているため冷気が溜っており、パワースポットゆえの“気”なのか寒さなのか、どうもよく分からない。ただ神々しい雰囲気であることは確かだ。古、この場所を訪れた人々がここを神の世界だと考えたのはもっともだ。

渓谷は高千穂峡ほど規模が大きくはないが、美しさはひけを取らない。あいにく探検した時は曇天だったが、ここに陽光が入れば、その美しさはさらに際立つだろう。

途中に小さな祠があったので、「もっとバリバリ仕事が来て、バンバンお金が入って、10型ジムニーのTSが買えますように」とささやかなお願いをしてきた。この願いは河野隊長にもきっと届くはず。

ちなみにこの渓谷の脇には手堀りのトンネルがあって、ここを歩くのもなかなかのスリルだ。中が真っ暗で、ジムニーで走り抜けるのもちょっとした怖さがあるくらいである。

それにしても、この景観が東京都内にあるものだとは俄に信じられない。たしかに小笠原父島の美しい海も東京と言われればそうなのだが、こちらは都心からわずかクルマで1時間。都会で疲れた心身を癒やすためにあるような場所だ。

探検隊史上ベスト3に入る蕎麦

手打ちそば深山(みやま)の店内。ご主人の趣味で、様々な古いモノが置いてあっておもしろい。下の車輪は陸軍一式戦闘機・隼のものだ。

往きに集落を抜けた時、蕎麦の旗をあげた古民家があった。檜原村にもいくつかの蕎麦屋があるが、この蕎麦屋はどうも「美味いオーラ」を出している。今日は朝も早かったので、午前中に腹が減ってきた。河野隊長に蕎麦レポートをするために…という言い訳をつけて、暖簾をくぐってみることにした。入ったのは「手打ちそば深山」

最初店だと思った古民家は住宅だったようで、店は脇にある小屋だった。下足して中に入ると、いきなりオリジナルのモンキーやスーパーカブがお出迎え。ここのご主人、なかなかの趣味人のようだ。ご夫婦とも感じが良く、都会にありがちな気むずかしい蕎麦屋とは違ってほっとする。

店のおすすめは「おまかせ膳」だということだったが、まだ食レポがありそうだったので、とりあえずベーシックなもり蕎麦(700円)を頼んだ。待っている間、店内を見回していると気になる車輪が二つ。何だろうと思って寄ってみると、一式戦闘機・隼のものだという。横には“何でも鑑定団”出演時の写真が貼ってある。うーん、この時の放送観ました。たしか、この隼の車輪はリアカーで使われていたはず。

その他にも古い冷蔵庫や刺子の消防服とか、男心をくすぐる骨董がたくさん置いてあって、何となくここのご主人が蕎麦屋を始めたワケも分かる気がしてきた。趣味人の打つ蕎麦はきっと美味いはずだ。

話好きのご主人にいろいろ聞いてみると、蕎麦屋を始めたのは3年ほど前。本業は近くでキャンプ場を営んでいるんだとか。だからキャンプ場繁忙期のGWと7〜9月は蕎麦屋は営業していない。

甘みがあって、歯ごたえのど越しが申し分ない蕎麦。ツユは辛めの江戸風で、最後に蕎麦湯を入れて飲むといい香りがまた楽しめる。

蕎麦には随分こだわっているとご主人は言う。粉は北海道斜里町のそば粉と埼玉県産地粉のブレンドを使用している。北海道のそば粉は昨今ブランドものとして人気だが、幌加内産や深川産が有名だ。斜里の蕎麦というのはちょっと聞いたことがない。

このそば粉を小麦粉で二ハにつないである。これを地元のわき水で丁寧に練る。つゆのダシは北海道日高産昆布と3種類の削り節で採っているんだとか。いやが応にも期待は高まる。

出てきた蕎麦は薄緑で美しい。見た目からしてすでに、のど越しが良さそうだ。まずは何もつけずに口に含むと、実に上品な甘みがある。香りはあっても甘みのない蕎麦が多いが、これは水蕎麦でもいけるくらいに甘くて美味い。

つゆも僕好みの辛め。辛めだが、藪系の大辛ではなく丸さがある。蕎麦の端にちょっと付けて食べてもいいし、ドボンと丸ごと蕎麦を入れてしまっても美味しく食べられる。だが、蕎麦がこれだけ甘いのだから、端にちょっとだけつけていただきたい。

掲載許可をお願いしてみると「マスコミにはあんまり出したくない」と言うのだが、ジムニー探検隊、そして河野隊長の蕎麦へのなみなみならぬ愛情を感じていただきOKをいただいた。この蕎麦、これまでたくさんの店で食べてきた中でも3本の指に入る美味さだ。皆さん、そして何より河野隊長にぜひ体験してもらいたい味だ。

これから見頃になる払沢の滝

ちとせ屋のうの花ドーナツ(上/1個90円)とざる豆腐(下/578円)。ドーナツはおからの甘さだけで、さっぱりとしている。ざる豆腐は水を加えないで作っているので濃厚だ。

美味い蕎麦で腹ごしらえしたので、次の場所に探検に向かうことにした。目的地はジムニーで5分も走らない場所にある。ようやく陽光が当たり始めた山間の集落に、またまた気になる看板を発見。「手つくり檜原とうふ・ちとせ屋」と書いてある。この場所で豆腐屋の看板を上げているなんて、よほど味に自信があるに違いない。

専用駐車場があったのでジムニーを駐めて、ちょっと寄り道していくことにした。この豆腐屋は村に一軒の豆腐屋ということだが、考えてみるとウチの近所の豆腐屋も軒並み店じまいしてしまって、いまや個人でやっている豆腐屋というのは都会でも珍しい。

店先に行くと、ちょうど名物のうの花ドーナツを揚げ始めたばかりで、あたりに菜種油のいい匂いが広がっている。このドーナツはその日に豆腐作りで出たおからに小麦粉と豆乳を混ぜて作っているんだとか。甘いものが大好きな山岡巨匠へのお土産で買っていくことにした。試食してみると甘さ控えめで、大豆の味が残っていて美味い。

豆腐は水を混ぜずに作るという、ざる豆腐をチョイスした。店のおばさんが「揚げたての厚揚げもうまいよ〜。この場で食べてごらん」と言うので
すごく惹かれたのだが、さすがに蕎麦を食べた直後なので次回にとっておくことにした。

ちなみに家でざる豆腐を食べてみたが、濃厚でそのまま何もかけずに食べるのが一番美味かった。塩や付属のタレも試してみたが、それもいけた。

さてまだ午前中とは言え、冬の日没は早いので次へ急ごう。目的の「払沢の滝」は、もうすぐそこだ。ちとせ屋から数百m坂を登ると観光駐車場があるので、そこにジムニーを駐める。これからこの滝は注目されるシーズンなので、週末は駐車場は満車になるかもしれない。

探検に行った時にはまだ水が流れていたが…(右)、1月に入ると徐々に凍り始めて、見事な氷瀑になる払沢の滝(下)。<氷瀑の写真は檜原村役場HPから引用>

さて、なんでたかだか滝に探検に行くのかと思っている方もいると思うが、実は払沢の滝は1月に入ると凍結し始め、見事な氷瀑になるのである。関東で有名な氷瀑と言うと「袋田の滝」が思い浮かぶと思うが、何と都心から1時間程度の場所に氷瀑があったというのは驚きだ。

駐車場から渓流沿いの遊歩道を15分ほど歩く。この辺も冷気が溜まっており、行くなら万全の防寒をしていったほうがいい。また足元が悪いので、きれいな靴はやめておいたほうが無難だ。

しばらく歩くと雄大な払沢の滝が見えてくる。滝は四段になっており、約60m。落ち込みの中には、大蛇が住んでいるという言い伝えがある。ここからアナコンダが出てきたら、間違いなくパニック映画スタートだろう。

残念ながら、というか12月では当然ながら滝は普通に落ちていた。村では“払沢の滝がいつ凍結するか?”というクイズキャンペーンをやっていたくらいなので、年々温暖化によって凍りづらくなっているのかもしれない。豆腐屋のおばさんによると、今から30年前は今よりも滝は見事に凍って、積雪量も半端ではなかったらしい。東京なのに信じられない話だ。

ちなみにわざわざ行って凍結していないとガッカリだと思うので、コチラにライブカメラのリンクを貼っておいた。出かける前の日にでも確認していただきたい。

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