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ON THE STREET BURGER
VOL.042
傘と「はがし」とハンバーガー~喫茶パーラー ふるさと [東京・月島]
傘と「はがし」とハンバーガー~喫茶パーラー ふるさと [東京・月島]

もんじゃ焼きの町・月島にもハンバーガーあり。しかも上質。
創業54年の老喫茶で食べるバーガーは都内トップクラスの腕前――。

歳のせいで目が悪くなったのか、はたまた近所の子供たちのいたずらでヒゲを切られたのが原因かも知れない。最近モノの距離がすっかり掴みづらくなって困っている。


ついこの間までは、こんな横幅の通路や、こんな高さのガード下など目算だけで楽々抜けられたのに、最近は通れると思った戸の隙間が通れなかったり、入れると思った段ボール箱に入れなかったり、登れると思ったブロック塀に飛び乗れなかったり……いやいや、何の話をしているのだ。吾輩は猫ではない。

月島もんじゃストリート

APIOジムニーコンプリートカーTS7、「ハンバーガー号」と呼ばれる特殊任務車両に乗って、今日も都内をパトロールしていた吾輩……ではなく、"私"とGAO(ガオ)隊長


「そうだ、細路地の店が一軒あるんですよ。車幅の狭いジムニーでも通れるか通れないかぐらいのギリギリの細さの路地なんですけどね。路地が勝つか、ジムニーが勝つか……いい勝負になるんじゃないかな」


と、GAO隊長を誘ったのは月島西仲通り、人呼んで「もんじゃストリート」である。昼間のもんじゃ街はひっそり閑としている。開いているもんじゃ焼き屋も少ない。その人の少ない商店街をゆっくりと前進するハンバーガー号……。


 「あ、行きすぎました……その植込みのところです」

と、問題の路地の手前で停めてもらった。

 「どこ?」
 「そこです、そこ。左に向いて真正面。どうです? 通れますかね?」
 「……え"、ここ? どうだろね……って通れるワケないだろ!!」


というのが右の図→。歳のせいか、どうも最近モノの距離感がおかしい。


§§


だが今回おかしいのは距離感だけではない。もっといろいろとおかしい――。


月島と言えば今やすっかり「もんじゃ焼き」の町である。金物屋の店先には食べる際に使う「ハガシ」が売られている。何種類も売られている。高級も売られている。新型も売られている。であるのに、そんな場所でハンバーガーを食べるのがまずおかしい。しかもハンバーガー屋なのに「喫茶パーラー ふるさと」という名前がまたおかしい。

創業1962年

月島二丁目の細路地にある「ふるさと」は1962年の創業。先の東京オリンピックの開催前夜。日本が最も明るく希望に満ちて、勢いのあった時代だ。創業者は今の店長・金子隆一さんのお祖父さん、金子静雄さん。


若い頃にケーキ職人と魚屋をやっていた静雄さん。何とも風変わりな組み合わせである。ケーキははじめ趣味だったそうで、家でワッフルを焼いては近所の子供たちに振舞っていたのが高じて、ある日突然「ふるさと」を始めた。


ロールケーキやマドレーヌなど、静雄さん自慢の洋菓子をメインにした「ケーキとお茶の店」ないし「サンドイッチとコーヒーの店」としてスタート。以後40年近く、静雄さん夫婦が店に立ち、静雄さんが亡くなった後は奥さん(お祖母さん)と隆一さんのお母さん(静雄さんの息子さんの奥さん)により「お茶もの」のみを出して営業を続けた。


そして2009年、孫の隆一さんが店長に就いて「ふるさと」のメニューは大きく変わる。

フランクリンで10年

隆一さんは五反田の名店「7025 Franklin Ave.(フランクリンアベニュー)」に10年勤めていた。きっかけは隆一さんのお父さん・輝雄さん(創業者静雄さんの息子さん)である。

輝雄さんはフランクリンのオーナー松本幸三さんとフランクリン開業以来の付き合い。「本当に"ホンモノ"に出合ったのは松本さん」と口を極めて言うほどに、フランクリンのハンバーガーを初めて食べた時の輝雄さんの衝撃は相当なものだった。


それが縁で息子の隆一さんがフランクリンで働くことになる。隆一さんは松本オーナーの片腕として活躍。愛車のホンダ・RVFで朝7時前に出勤して店の鍵を開け、夜11時に鍵を閉めて店を最後に出る毎日。仕込みも全て担当した。だからフランクリンのレシピは全部隆一さんの頭の中に入っている。


そんな隆一さんが10年働いたフランクリンを辞めて「ふるさと」に帰った。今後「ふるさと」をどうするかという話し合いが家族内で持たれ、隆一さんが跡を継ぐことになったのである。つまり呼び戻された次第。


こんな古風な喫茶店に今どきのハンバーガーがあるのは、そんな理由(わけ)である。

ハンバーガー開始に当たり、座ると膝の高さまでしかなかったテーブルと椅子、シャンデリアまがいの照明については新しく取り替えたが、あとは昔のまま。剥げた床のPタイルをはじめ、店の中も外も、創業当時ほぼそのままである。


入口の扉は懐かしのアクリル板製。青白ツートーンが鮮やかな丸椅子は、さる目利きの客から「捨てるならくれ」と言われたほどの逸品。カウンターの天板も昔のままだ。とにかく「昔のものは丈夫」だと隆一さん。1950~60年代初頭、日本のミッドセンチュリーをそのまま封じ込めた「タイムカプセル」のような店である。


ハンバーガーは全部で7品。サンドイッチ6品。今日は中から「ベーコンチーズバーガー」1,150円。

路地裏の芸術的バランス

「懐かしのいちごジュース」500円は先代静雄さんの頃からのメニュー。ミキサーでいちごを砕いて作るホームメイドなおいしさ

パティはオージービーフの120g。本当はグリラーでやりたかったが、店内あまりに狭くて入らず、やむなく鉄板で焼いている。しっかりと据わった肉の味の上にふわっと絡むチーズ。そこへさらに絡むベーコンは、厚切りでもクリスピーでもなく、程よい薄切り。調和を第一に考えた選択だ。


タルタルソースはフランクリン直伝の味。スライスしたオニオン・甘めのピクルスと混ざって、キュッ! と刺激を利かせている。ヘンに飛び出たところがひとつもない完璧に近い調和。均整。絶妙なまとまり。「ほわん」と淡いトーンの中で、しかし「カシッ」と味が決まっている。これは職人芸だ。


下町路地裏のこんな古めかしい店内で、こんな上質なバーガーに出合えるとは――いよいよもっておかしい。


§§

ON THE ''MONJA'' STREET BURGER

だがこちら、以前から再開発の計画があって、近い将来、一時店を閉めねばならない運命にある。時期は未定だが、歴史あるこの店舗がいずれ無くなってしまうのは残念ながら確かなことである。無くなるのは店ばかりではない。この路地も、町並みも、風情も――。路地裏かタワマンか。月島は今そんな両極端な町である。


ハンバーガー号で訪ねた月島・佃島界隈の様子を最後に上げておく。まだまだ夏の盛りのこの日、日傘をさす人には多く会ったが、さすがに猫には出会わなかったニャ~。

< 文と写真:松原好秀 写真:GAO NISHIKAWA >

喫茶パーラー ふるさと [東京・月島]

所在地: 東京都中央区月島1-23-10
アクセス: 首都高都心環状線・銀座出口より6分
駐車場: 清澄通り沿いにPメーターあり
TEL: 03-3531-6916
オープン: 1962年 (ハンバーガー開始:2009年5月2日)
* 営業時間*
火~土: 9:00~17:00
日曜日: 9:00~16:00
定休日: 月曜日(祝日営業、要確認)

佃小橋にて
月島三丁目、何ともカッコいいデザインの派出所跡がのこる
細路地の中ほどに喫茶パーラーふるさと
目利きの客から「捨てるならくれ」と言われたことがあるというスツールがこれ
創業者静雄さんご夫妻と自慢のロールケーキ(写真左)、当時のメニュー看板(写真右)
創業当時から使っている照明(上)と、隆一さんが小さい頃からずっと店にあったというエンブレム(下)
分厚いアクリル板で出来た入口扉(上)、奥の壁の材質は合成皮革だろうか(下)
店長・金子隆一さん。かつて五反田フランクリンアベニュー・松本オーナーの片腕だったその「腕」は今も変わることなく、むしろ円熟味を増している
外へ出れば、ひっそりとした月島もんじゃストリートの昼下がり
月島の隣、佃(つくだ)と言えば佃煮。こちらの老舗は創業天保8年(1837年)"
於咲波除稲荷(おさきなみよけいなり)神社とハンバーガー号"
佃小橋にて。奥は聖路加タワー。おばあちゃん、暑さに気をつけて"