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12.08.02

ゼッケン:106 ドライバー:橋本武志 / ナビゲーター:ビャンバー・オトゴンバタル

ゼッケン:106
ドライバー:橋本武志(左) / ナビゲーター:ビャンバー・オトゴンバタル(右)

日本とモンゴル、絆が結んだ2人の挑戦!

ゼッケン106番/橋本号

ゼッケン106番の赤いマシン。このクルマはもう5、6回はラリーモンゴリアに出場しているだろうか。最近では2010年に霧島ローランドさんがハンドルを握り、翌年はAPIOのレンタル車両として一般に貸し出されている。そのレンタル車両を借りたのが橋本武志さん。橋本さっはラリーマシンの出来映えに惚れ、今年はそのマシンをAPIOに頼んで買い上げてしまったのだ。今年は「自分のクルマ」だけにラリーへかける思い入れも大きいという。

マシンは基本、尾上さんの競技用車両に準じた作りでボンネットや左右ドアなど各部もFRP化されており、戦闘力は高い。追加燃料タンクも備え付けの安全タンクでラリー車としてある意味完成しているクルマだ。

ただし去年はオルターネーターにトラブルが出たので今年はリビルト品にして予備も備え、昨年尾上さんが苦しんだウォーターポンプも新品の予備を用意したという。「他のところでトラブルが出たものはとにかく持って行く」という意識が徹底している。

それもそのはず、橋本さんメカニックとしての経験が豊富なのだ。実は日野がダカールにワークス参戦した '91年、'92年、'97年の3度にわたってメカニックとして参戦。'97年にはアシスタンスの3号車に搭乗し、見事1、2、3フィニッシュの一翼を担っている。自宅にはダカールのトロフィーがあると言うから、経験と整備の実力は折り紙つきなのだ。

橋本号コックピット

そんな橋本さんが2年目の挑戦にあたり、ナビゲーターに選んだのは若きモンゴル人青年 ビャンバーさん。現在、早稲田大学の博士課程に在籍しているビャンバーさんとどうやって出会い、一緒に走ることになったのか、そこには面白いエピソードが隠されていた。

話は数年前にさかのぼる。ラリーモンゴリアにひとりのモンゴル人が通訳として参加していた。それをきっかけにビャンバーさんのお姉さんが日本語の勉強を志望して来日。その後、娘の留学先に興味を持ったご両親が観光に訪れ、日本を気に入ったご両親がビャンバーさんに日本への留学を勧めたのだという。その後ビャンバーさんは2008年秋に来日。国際大学の修士課程を終え、現在早稲田へ通っている。橋本さんはなんと、ご両親を日本でアテンドした張本人だったのだ。

運命の赤い糸…ではないが、こんな数奇な運命からふたりは1台のクルマに収まることになった。ビャンバーさんは自身が育ったウランバートルはよく知っているものの、モンゴルの草原や砂漠はよく知らず、むしろ日本の観光地のほうが詳しいという。もちろんラリーの経験はなく、ナビは初めてのことだ。でも自国で行われるラリーに参戦できるモンゴル人なんて、本当に限られた人達だけだ。それだけに、ビャンバーさんはこのラリー参戦を心から楽しみにしているという。

橋本さんは言う。「ラリーモンゴリアの魅力は一日アクセルずーっと全開で走れることかな。そんなことができるのは25年前に駐在していたアルジェリア以来のこと。草原の絨毯は砂漠のダカールとも全く違うし、モンゴルは素晴らしいところだ。抱負? ズバリ、完走だよ。あわよくば、6台のジムニーの中でトップでゴールしたい、なんて夢を見るけど、菅原さんや尾上さんには言えないなあ(笑)」

インタビュー

ゼッケン:106
ドライバー:橋本武志
ナビゲーター:ビャンバー・オトゴンバタル

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